兵を形すの極は無形に至る
孫子の名言
今回は、孫子の兵法の一節で名言の一つでもある「兵を形すの極は無形に至る」という言葉について見ていきたいと思います。
「兵を形すの極は無形に至る」の一節
ゆえに兵を形すの極は無形に至る。
無形なれば、すなわち深間も窺うことあたわず、智者も謀ることあたわず。形に因りて勝を錯くも、衆は知ることあたわず。人みなわが勝つゆえんの形を知るも、わが勝を制するゆえんの形を知ることなし。ゆえにその戦い勝つや復さずして、形に無窮に応ず。
「兵を形すの極は無形に至る」は、孫子の兵法の第六章「虚実篇」で出てくる一節です。この「進みて禦ぐべからざるはその虚を衝けばなり」の一節を現代語に訳してみましょう。
「兵を形すの極は無形に至る」の現代語訳
軍の態勢の究極は、形をあらわさないことである。
形をあらわさなければ、深く入り込んだスパイもかぎつけることができず、知謀の者でも予測することができない。態勢が読みとれれば勝利を得られるが、一般の人は知ることができない。人々はみな、味方が勝利する様を知っているが、味方がどのようにして勝利をおさめたかを知ることはない。だから、勝利の有様は一度きりで、相手の態勢に応じて臨機応変である。
これが現代語訳になります。
「兵を形すの極は無形に至る」の解説
究極の軍の態勢として孫子が挙げたのが「無形」です。「無形」とは文字通り「形を見せないこと」。
明確な形があれば、他人は予測して対抗手段を講じることができますが、定型を持たず、相手の態勢に応じて臨機応変に態勢を変えることで、「無形」とまではいかないものの相手は予測できず対抗手段も講じられない状態になります。
「相手に応じて臨機応変に戦うこと」は、いまのビジネスシーンでも重要なことだと思います。