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善く兵を用うる者は、譬えば率然のごとし
孫子の名言
今回は、孫子の兵法の一節で名言の一つでもある「善く兵を用うる者は、譬えば率然のごとし」という言葉について見ていきたいと思います。
「善く兵を用うる者は、譬えば率然のごとし」の一節
ゆえに善く兵を用うる者は、譬えば率然のごとし。率然とは常山の蛇なり。その首を撃てばすなわち尾至り、その尾を撃てばすなわち首至り、その中を撃てばすなわち首尾ともに至る。
あえて問う、兵は率然のごとくならしむべきか。曰く、可なり。それ呉人と越人と相悪むも、その舟を同じくして済り風に遇うに当たりては、その相い救うや左右の手のごとし。このゆえに馬を方べ輪を埋むるも、いまだ恃むに足らず。勇を斉しくし一のごとくするは政の道なり。剛柔みな得るは地の理なり。ゆえに善く兵を用うる者は、手を携うること一人を使うがごとし。已むを得ざらしむればなり。
「善く兵を用うる者は、譬えば率然のごとし」は、孫子の兵法の第十一章「九地篇」で出てくる一節です。この「善く兵を用うる者は、譬えば率然のごとし」の一節を現代語に訳してみましょう。
「善く兵を用うる者は、譬えば率然のごとし」の現代語訳
戦の上手な者は、たとえば率然のようなものである。率然というのは、常山にいる蛇のことである。この蛇は、その頭を撃つと尾が助けに来て、尾を撃つと頭が助けに来て、その腹を撃てば頭と尾とで一緒に襲いかかる。
「軍隊を率然のようにすることができるか?」とある人が聞いたが、孫子は「できる」と答えた。「そもそも、呉の国の人と越の国の人は互いに憎み合っているが、一緒に同じ船に乗って川を渡る途中で大風に遭うと、彼らは左右の手のように協力して助け合う(呉越同舟)」。だから、馬を並べてつなぎ、車輪を土に埋めて陣固めをしてみても、決して頼りになる守りではない。軍勢を勇者も臆病者も等しく結束させて整えるのは、軍制の役割である。剛強な者も柔弱な者も充分な働きをさせるのは、地勢の道理によるものである。戦上手が、手をつないでいるかのように軍を一体にさせて動かすのは、兵士が戦うしかない状況に置くからである。
これが現代語訳になります。
「善く兵を用うる者は、譬えば率然のごとし」の解説
「善く兵を用うる者は、譬えば率然のごとし」は孫子の「九地篇」の中にある言葉の一つで「戦の上手な者は、たとえば率然(常山にいる伝説の蛇)のようなものである」という意味です。
優れた指揮官は、勝てる状況を作り出すだけでなく、組織が結束するようにまとめ上げ、お互いが自然に協力し合うようにしている、というのが「善く兵を用うる者は、譬えば率然のごとし」の一節の趣旨になります。