週刊ヤングジャンプで2006年から連載されている「キングダム」は紀元前3世紀の春秋戦国時代を舞台とした史実を基にした歴史漫画です。2012年にはアニメ化、2019年には山﨑賢人さん主演で映画化もされ老若男女を問わず絶大な人気を誇っています。
中国史上初の中華統一を目指す秦国を中心に様々なキャラクター達が活躍し、壮大な合戦や頭脳戦を繰り広げていることが「キングダム」の魅力の一つです。実在した各国の王や武将をモデルとした様々な個性的なキャラクター達が毎回手に汗握る重厚なドラマを生み出しています。
そんな「キングダム」の人気キャラクターの中から今回は、信に大将軍の一撃を食らわせた旧趙国三大天の一人・廉頗(れんぱ)を紹介します。
目次
廉頗・趙国三大天として名を馳せた歴戦の名将
趙国最強の武将の称号である趙国三大天。
現在は信たちの前に立ちはだかる最大の敵・李牧(りぼく)と龐煖(ほうけん)が名乗っていますが、それ以前は藺相如(りんしょうじょ)、そして魏国との戦いで登場した廉頗が名乗っていました。
三大天は秦国の六将と並び中華全土に名前が知れ渡る最強クラスの武将です。
藺相如は残念ながら既に亡くなっていますが、廉頗は健在で旧三大天や六将の中で唯一生き残る最後の名将です。
六将だった王騎とは何度も殺し合いをした仲でしたが戦いの中で通じるものがあったようで王騎が亡くなる前に一緒に酒を飲む姿も描かれていました。
現在でも自身の武力も知略も作中トップクラス、さらに自軍の兵士や将の士気を高めることもでき、廉頗四天王を中心とした部下も強力と、まさに大将軍と呼ばれるに相応しい実力を備えています。
魏軍を率い秦国に立ち塞がった廉頗
長年、趙国で軍を率いた廉頗ですが、当時の趙王と対立した事で魏国へ亡命します。
亡命先の魏国が秦国に侵略された「山陽の戦い」で魏軍を率いる将軍として信たちの前に立ちふさがりました。(もともと敵国だったため大将は魏国の将軍ですが、実質的に兵を率いたのは廉頗でした)
廉頗四天王と秦国の戦い
魏国に亡命した廉頗の下には廉頗四天王と呼ばれる優秀な側近達が付いて来ており、廉頗とともに秦国と激しい戦闘を繰り広げました。
当初、元趙国三大天の一人である廉頗が登場したことで魏軍が有利に戦闘を進めましたが、信や王賁(おうほん)、蒙恬(もうてん)ら秦国の若手武将の活躍、六将の影に隠れていた才能溢れる王翦(おうせん)や桓騎(かんき)といった秦国の新たな武将の手腕により、次第に秦軍が優位に立ちます。
予想外の廉頗四天王の敗北もあり、廉頗は自ら秦軍総大将である蒙驁(もうごう)を討つために出陣します。
山陽の戦い:秦軍総大将・蒙驁との一騎打ち
蒙驁は同世代である廉頗とも何度か戦い一度も勝てずにいましたが、長年、廉頗の戦を研究するなど対策を練り続けていました。
練られた蒙驁の策も破り本陣に辿り着いた廉頗に蒙驁は意外にも一騎討ちを提案します。一騎討ちの中で蒙驁の腕を奪う廉頗ですが、六将や旧三大天が活躍した過去の戦の時代は終わり廉頗も前線を退くべきだと指摘されます。
途中乱入した信が廉頗の一撃を受け止めてみせたり、王翦や桓騎が確かな才能を見せたりしたことで次の世代の可能性を廉頗も感じたようでした。
秦軍を追い詰めた廉頗でしたが、魏軍の総大将を桓騎に討たれたことで戦を止めて撤退します。
信たち秦国の若手武将に大将軍の姿を見せつけました廉頗でしたが、山陽を守りきれなかった責任を問われることになり、山陽の戦いの後、魏国から楚国へ亡命することになりました。
史実の廉頗は「キングダム」通り最強の名将
「キングダム」のキャラクターの多くは実在した春秋戦国時代の武将や政治家などがモデルになっており、廉頗も実在した趙国の武将です。
藺相如との「刎頸の交わり」の逸話でも有名な廉頗ですが、武将としても「キングダム」のイメージ通りの強さを誇っていたようです。
歴戦の名将・廉頗と長平の戦い
廉頗の名前が初めて登場するのは紀元前283年の秦との戦いです。
廉頗は、この戦いで昔陽(せきよう)を取ると、さらにその翌年、斉国を攻めて陽晋(ようしん)を落としています。
当時の秦国と斉国は中華の二大大国、その二国を次々に攻めて勝った廉頗は、上卿という大臣の地位を与えられました。
その後も廉頗は秦国の侵略を次々に食い止めます。この頃の趙国には藺相如も健在で、2人がいた事で秦国も趙国を攻めきれずにいました。
しかし藺相如が病に倒れると、次第に秦国の侵略が激しさを増します。
まず、紀元前260年には秦国の将軍・王齕(おうこつ)が上党を落としました。
上党の避難民を救出するために廉頗も出陣しますが、秦軍の勢いに危機を感じた廉頗は籠城し、長期戦で秦国を撃退することを狙います。これが有名な長平の戦いの始まりです。
秦国を食い止めていた廉頗でしたが、秦国の名将・白起(はくき)の策により、趙王は経験豊富な廉頗ではなく、頭は良いが実践経験が不足している趙括(ちょうかつ)に総大将を変えてしまいます。
趙括は廉頗らと同じく名将であった趙奢(しょうしゃ)の子でしたが、戦の経験が不足していた趙括は討ち取られて趙軍は敗退。捕虜となった趙兵40万人は白起により生き埋めにされた結果、趙国は国力を大きく落としてしまいます。
長平の戦いの後も廉頗は軍を率い続け、弱体化した趙国を攻めてきた燕国を撃退して逆に領地を奪うなどの活躍を見せました。
そして、廉頗は長年の功績により紀元前251年、最高位の官位である相国代行に任命されたのです。
廉頗を追い出した趙王の大失態と悲運の晩年
長年趙国のために奮闘した廉頗でしたが、史実の廉頗も「キングダム」の廉頗と同じように趙国から亡命することになります。
紀元前245年に趙王となった悼襄王によって廉頗は将軍職を罷免されてしまいます。
罷免に納得がいかない廉頗は、後任となった将軍・楽乗(がくじょう)を攻め破りますが、この戦いにより趙国にいられなくなった廉頗は魏国へ亡命します。
「キングダム」と違い、史実の廉頗は魏国で軍を率いることはありませんでした。
廉頗を追い出した趙国は、これまで秦国の進撃を食い止めていた廉頗がいなくなったことで秦国から大攻勢を受けます。
趙王は慌てて廉頗を呼び戻そうと書簡を送り、廉頗もこれに喜び趙国へ戻ろうとしました。
しかし秦国から買収されていた奸臣・郭開(かくかい)の謀略で「廉頗が年老いて戦うことができなくなった」という嘘の報告を趙王は信じ、廉頗を呼び戻すのを止めてしまうのです。
趙国に戻れなかった廉頗は魏国を出て楚国へ亡命しますが、その後も軍を率いることはなく病死しました。
「キングダム」での廉頗と同じように、戦を愛し戦に生きた男だった廉頗が、最後は軍を率いることなくその生涯を終えてしまったのは、彼にとって戦で戦死するよりも悲運の最期というべきかもしれません。
廉頗は楚国を率いて登場する可能性も!?
廉頗は「キングダム」の作中では楚国に亡命後も度々登場していて、各国の情勢に気を配っている様子が伺えます。
楚国の宰相に新たに任命された禍燐(かりん)とも密談しており、楚国でもそれなりの地位にいそうです。
史実ではその後出番のなかった廉頗ですが、「キングダム」では今後信たちの越えるべきかつての大将軍として登場する可能性もあります(禍燐なら元敵国の武将だとしても気にせず登用しそうですね)。
史実でも大活躍した廉頗、今後のさらなる出番を期待しましょう!